おしえて
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佐藤 二朗(さとう じろう、1969年〈昭和44年〉5月7日[2] - )は、日本の俳優、脚本家、映画監督、司会者。フロム・ファーストプロダクション所属。
愛知県春日井市生まれ、愛知郡東郷町育ち[3]。愛知県立東郷高等学校[4]、信州大学経済学部卒業[5]。
小学4年生の学習発表会で劇に参加した時に「お芝居ってなんて楽しい世界なんだ」と感動したことが俳優を志すきっかけとなった[6][7][8]。大学在学中に就職活動をしていた頃、働きながら土日の余暇に芝居をしようと考え、学生時代にアルバイトを経験したことがあった営業職に絞って就職活動を開始した。制作を希望する人が多いテレビ局に最初から営業職で応募した際には採用担当に不思議がられ、それに対して素直に「実は役者をやりたくて、週末はその活動をしたい」と答えた。結果として25件連続で面接試験に失敗する。
大学卒業後、リクルートに入社。しかし、入社式の雰囲気に違和感を覚えてしまい、初日で退職して帰郷[9]。後年、佐藤は同社を初日で退職したことについて「言うまでもなくリクルートはさまざまなアイデアを生み出す素晴らしい会社です。あくまでフラフラしていた当時の俺がダメだっただけなので」と振り返っている[10]。
再上京して学習塾講師のアルバイトを続けながら資金を貯める[7]。劇団附属の「文学座俳優養成所」に入所するも1年後の入団試験に不合格だったことから、渡辺えり子(現・渡辺えり)主宰「劇団3○○」の養成所「無人塾」に3期生として入所[11][12]。卒業公演では主役に抜擢されるが[13]、1年で退団している[10]。
「俳優への適性がない」と感じ、26歳のころに小規模の広告代理店に再就職する。1日に16時間勤務するなど過酷な働き方をしていたため身体の調子をおかしくしたが、営業として部署トップの成績を残す。しかし、役者業への思いが再び抑えきれなくなると、かつての養成所・劇団の知り合いに声をかけて演劇ユニット「ちからわざ」を1996年に旗揚げする。全公演で作・出演を担当するなど、会社勤めをしながら俳優活動を再開[10]。28歳の時には鈴木裕美にスカウトされ、劇団「自転車キンクリート」に入団。この頃には当時勤めていた会社を退職している[14]。
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