玉城デニー氏本人が明かす「ダンマリ」の理由
もっとも、玉城氏の劣勢を決定付けたのは、デマや中傷などでなく、小型船2隻が辺野古沖で転覆した際に見せた“冷淡”な態度だったとの声は消えない。
事故により、同志社国際高校(京都府)2年生の武石知華(ともか)さん(17)ら2人が死亡。しかし玉城氏はダンマリを決め込み、発生から1カ月以上もたってからようやく現地へ献花に訪れた。
当時の対応について、玉城氏本人は、
「まだ“事故の原因は誰にあるのか”という捜査中の段階だったため、なかなか発言できなかった場面があったのは事実です。(それにより)対応に不手際があったように受け取られた面はあったかもしれない」
そう釈明した上で、
「そもそも沖縄県が直接、今回の事故に関係しているわけではありません。もちろん、人命が失われたという重い事実に対し、ご遺族にお悔やみを申し上げ、関係者の方々にも捜査への徹底協力を要請しました。また県として、600余りの関係団体に文書を発出して、安全管理の問題について積極的に意見交換する姿勢などを示してきました」
校長と面会した理由
“できることはやった”と述べる玉城氏に、事故のわずか2日後、遺族よりも早く同校の西田喜久夫校長と面会した理由を尋ねると、
「だからそれも、あくまで学校側が県に立ち寄るというので、“私どもの方で協力できることがあれば仰ってください”とお伝えしただけです。その場で何らかのすり合わせや学校側からの要望を伝えられた事実などはありません」
玉城デニー氏に“直撃” 明かされた「辺野古沖転覆事故に“ダンマリ”だった」理由〈沖縄県知事選で惨敗〉
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